Release: 2020/09/27 Update: 2021/09/05
父の奇行-その③- ~父と母の入院・途方に暮れた日々~

母の入院がショックな父

毎日、母の暴言と暴力を受けていた父ですが、母が入院して昼間一人で家にいるようになると、その様子が激変しました。
規則正しい生活を送り、健康にも気を付けていた父が昼間から酒を飲むようになり、食事もほとんど作らなくなりました。
私は昼間、会社勤めに出ていたので早朝に家を出てから夜まで戻らないのですが、父は万年床で酒を飲んでは寝ていることが多くなりました。
昼間の食事の支度が出来ないので、高齢者給食を取って冷蔵庫に入れて置くのですが、一口も手を付けませんでした。
私が母を入院させたのが不満だったようなのです。
毎日母に罵られて、ぶたれたり蹴られたりしているよりはよほどマシだと思っていたのに、一人になると異常に孤独を感じたようです。

父の救急搬送→入院

そんなことが続いた日、たまたま実家に様子を見にきていた弟から会社にいる私に連絡が入りました。
「親父が布団の中で気を失っている」
母が認知症になってから心臓を悪くしていた父ですが、発作を起こしたようなのです・・・
緊急を要するので、とにかく救急車を呼んでもらうことにして、病院がわかったら弟に連絡してもらうことにしました。
父が搬送された病院は家の隣の市にあって、駅から徒歩10分くらいのところでした。
私はその晩、入院に必要なものを揃えて翌日から会社帰りに毎日、お見舞いに通うことにしました。

病院からのクレーム電話

本当はそんなに頻繁にいかなくても良かったのですが、家族がこないと父が喚き(わめき)出すらしいのです。
毎晩、お見舞いに行っても翌日の昼間になると病院から「お父様が同じ病室の患者さんを怒鳴って、手が付けられないのですぐに来て欲しい」「ほかの患者さんとトラブルになっているから、すぐに来て対処してほしい」という連絡が毎日のようにはいりました。
申し訳なく思いながらも、勤め先から病院へ行くには時間がかかること、毎日のようにそちらへはいけない事情を話しましたが、病院側は納得しませんでした。
「これ以上、トラブルが続くようなら退院してもらう」ということを言われて、私はまた心安らかでいられなくなりました。

相談相手がいない

父の入院費もバカになりません。
母も別の病院に入院中なので月々の入院費が二人の年金だけではとても足りなくなってきました・・・
もう10年以上前の出来事ですが、今でもこのことを思い出すたび胸が痛みます。
弟も当時、自分たちの家族を養うのに手いっぱいで、金銭的にも時間的にも余裕がなくて頼ることができない。
父が毎月のように遊びに行って、仲の良かった親戚に相談しても、話は聞いてくれるものの具体的に援助してくれるわけではありません。
みな、自分たちの生活で手一杯なので話は聞いてくれても、どうしようもない状況でした。

行政なんて何もしてくれない

市の介護課に連絡しても、解決策をもらえるわけではなく「介護認定が出ているので、ホームヘルパーを頼むか、施設に入居させてください」と言う返事しかもらえません。
父や母の見舞いに行った帰り、駅前のファストフード店内で座って頭を抱えていたことを思い出します。
その時ちょうど、北京オリンピック開催の都市で、病院や飲食店ではその様子が放映されていましたが、私の頭にはその内容が全然はいってきませんでした。
途方にくれるというのは、こういうことなんだな・・・と思っていました。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」誰かがそんなこと、言ってたな・・・と思いだしていました。

関連コンテンツ