入院先を追い出される父と施設探しの日々
目次
入院先での父の状態
と言うのも、父が入院していた地元の病院では何が原因かははっきりしなかったのですが、点滴の液が漏れて左腕がパンパンにむくんで動かせない上に、車いすの移動しかできなくなっていたのです。
父が入院していた一ヶ月の間に片腕は動かせない、筋力が衰えて歩くこともできなくなっていても病院からは明確な説明はありませんでした。
病院側としては、しょっちゅう、他の患者さんとトラブルを起こす父に退院してもらいたがっていたので、歩けなくなったうえに、片腕が使えなくなって却って好都合だったのかもしれませんが。
時々、父の見舞いにっていた弟が最初に父の異変に気づいて私に知らせてくれたのですが、私が看護師に問いただしても「天敵が漏れて、すぐに処置したがむくみがとれない」という説明以外は一切、理由を聞きだせませんでした。
「入院させてもらっている」立場としては、あまりキツいことを言うと父がいじめに遭うかもしれないと思ってそれ以上は何も言えませんでした。
父が救急搬送されてきたとき、心臓疾患は認められたものの、認知症の程度については把握していなかったので、入院生活の中で父がトラブルを起こすことは想定できず、病院にとっては迷惑な患者であることは確かでしたが。
病院側に退院を強制されても、次に移れる病院や施設が無いとこちらも身動きが取れません。それで、こちらも次に移れる場所が見つかるまでは事を荒立てないようにしていました。
一般病院ではこのように、認知症の患者の扱いになれておらず、しばしばこういう問題が起こるといいます。
他の病気や怪我と違ってやはり認知症の患者は専門の病院か施設でないと、満足な治療やリハビリは行えないのです。
退院して移った次の施設
地元の病院に退院を余儀なくされていた時に見つけたのが、老人病棟のある施設でした。
今まで入院していた病院と違って、そこは車が無いと通えない所でした。
それに加えて、今までより入院費が5割ほど高いのです。
認知症と言う、当時は「特別な病気」をもった高齢者を預かる施設と言うことで、ここはあくまでも「一時的避難場所」として探してきたところです。
多床室の部屋で、父は寝たきり状態になりました。
入院する前の気力もなくなり、いきなり連れてこられた老人病院の環境にショックを受けたのか、病室で喚き散らすことも他の入居者さんたちとトラブルも起こすこともなくなり、ボーっとしていることが多くなりました。
施設のスタッフもみな忙しく動き回って、一人一人の入居者と向き合うことはほとんどありません。
お風呂やトイレ、食事の介助を行うだけで、後は寝かせっぱなしにしているのでした。
お風呂やトイレ、食事の介助を行うだけで、後は寝かせっぱなしにしているのでした。
この状態を見て私は「ここもダメだ」。これでは父が廃人のようになってしまうと思い、ますます施設探しを焦るようになったのです。
そうして探し出しのが、群馬の「千本桜」に近い民家のような介護施設でした。
両親を入居させる施設探し
母が認知症を発症し、続いて父までもが認知症になって途方に暮れていた頃。
その頃、私は何とか2人が年金で暮らせる施設はないものかと探していました。
毎日、会社の昼休みに市の介護課からもらった介護施設一覧表を片手に、施設に電話する日が続きました。
私たちは埼玉に住んでいますが、金額的に東京・埼玉・神奈川・千葉など首都圏の介護施設は高くて入れません。
入居一時金が数百万円、月々の利用料金が20万円以上(どちらも一人当たり)など、とてもじゃないけど払いきれないんですね。
特養(特別養護老人ホーム)なら入居金なし、月々の利用料金が介護費用を除いて5~7万円程度(介護費用を含めても10万円程度)なので、これなら問題なく入居させられたのですが、当時、特養に入れるのは要介護4以上の人ばかりでした。
ですから、どこの特養に連絡しても両親の介護度を告げると返事は同じ、「3年待ちです」ばかりです。
(嘘のようなホントの話です。なんなんだ、3年待ちって・・・)
(嘘のようなホントの話です。なんなんだ、3年待ちって・・・)
いまではインターネットで比較的簡単に希望する施設に近い所を探すこともできるのですが、当時はHPを持っている介護施設もほとんどなくて、というより介護施設自体が少ないので、結局老人病棟や精神科のある病院に入院させるしかなかったのです。
介護施設紹介のHP
そんな時、「介護施設紹介」の会社のHPを見つけて資料請求してみることにしました。
送られてきた数社のパンフレット(A4サイズのコピー用紙にカラー印刷した程度のもの)に目を通すと、群馬とか長野、新潟あたりの施設しかありませんでした。
10年前くらいは本当に介護施設自体が少なく、選択肢も限られていたんですよね。
その中から、比較的埼玉に近い群馬の施設が目に留まりました。
その時の私はとにかく両親が年金で暮らせる施設を第一に考えていたので、その他のこと、例えば認可であるか否かとか看護設備の有無などは二の次になってしまいました。
本当は父の持病(心臓病)のことを考えると、病院に隣接した施設とか看護設備が整ったところがいいのですが、そういう施設は見当たりません。
何より、今の入院生活が続くと父の預貯金が底をついてしまうので、一刻も早く「安い施設」を探す必要がありました。
そこで、取り寄せたパンフレットの中で群馬の施設の説明を聞きに行くことにしたのです。
群馬の施設
両親を預けようと決めた群馬の施設に連絡して、次の日曜日に説明を聞きに行くことにしました。
埼玉からだと、高崎線か特急あかぎに乗って「前橋」に行きます。
当時の施設の理事長(80代の男性)が車で前橋まで迎えに来てくれることになっていました。
施設は前橋駅から車で1時間ほどの赤城山のふもとにある施設でした。
施設までバスを使っても、もよりのバス停がないので、通うには自家用車かタクシーしかない所です。
施設に行くとしたら弟に乗せてもらうしかないな、と考えながら施設に向かいました。
こういう時、一緒に行ってくれる親族がいれば安心なのですが独身の私にはそういう人もいませんでしたし、弟は日曜も仕事なので行けないということだったので、一人で向かうことになったのです。
施設について見ると、普通の民家のようでした。というか、以前はそこでカフェを経営していたということで、造りは木造2階建てのおしゃれな雰囲気です。
庭が広く、迎えに来てくれた理事長いわく「自家菜園と足湯を作る予定」とのことでした。
「赤木の千本桜」にほど近いその施設は、時々観光に来るには最適の場所です。
病院と違って、頻繁に会いに来なくてもいいし、何より年金で暮らせる介護施設なのですから、それだけでも私には理想的なに見えました。
病院と違って、頻繁に会いに来なくてもいいし、何より年金で暮らせる介護施設なのですから、それだけでも私には理想的なに見えました。
部屋数は全部で5~6室、すべて和室です。
2階は事務所と、入居者家族が泊まれる部屋が用意されていました。
2階は事務所と、入居者家族が泊まれる部屋が用意されていました。
両親が入居することを想定して、理事長が紹介してくれたのは和室10畳くらいの広さで、ベッド、いす式のコタツ、電気ストーブが用意されていました。
押し入れも一軒ついているので、身の回りの荷物も収納できますし、一応バリアフリーになっているので車いすでの生活も可能でした。
私が認知症の父を預けることのできる施設探しに焦っていたのは、病院での父に対する看護に問題があったからです。
認可・無認可のことより、底にはホームヘルパーの資格を持っているスタッフが常駐していることと、病院食ではないにしろ、一応、入居者の状態に合わせた食事を用意できることで、入居を決めました。
父の心臓疾患についても食事は塩分控えめと言う意外、特に制限はありませんでしたし、母の胃腸は至って健康だったので特に問題は無いと思ったのです。
何より、ここに預けることで私は夜も眠れずに行方不明の父を待っていたり、病院から呼び出しを受けることもなくなることでホッとしていました。
父の入院に関しては、病院からの呼び出し以外にも気に病むことがあって、長くは入院させられなかったという事情もあります。
何より、懸念していた入居費用が1ヶ月、二人で10万円と言うのが一番の決め手だったのですが。
施設見学に行き、介護の様子を見て私はココしかない、と思い、弟に伝えました。
弟は仕事の関係もあり、病院や施設探し、その費用の管理などすべて私任せにしていて申し訳ないという気持ちから、「姉貴がいいと思う施設ならおれは無いも言わない」と言ってくれました。
次の日、両親の入院している病院へ退院の旨を告げて、弟のスケジュールに合わせて両親を群馬の施設に入居させることにしました。