アルツハイマーになりたての頃の母
目次
アルツハイマーの発症
行動や言動の変化
うちの母親は60代になってから、徐々におかしな言動が目立ってきました。
もともと変わった性格の人でしたが、家族で食事をしていると「何だか最近、頭がボーっとして真っ白になって何もわからなくなる」とか「お前(父親)より先にボケてやるからな」とか「裏の家の◯◯が昼間、ベランダから侵入してきた」など尋常じゃないようなことを言い始めたのです。
また、同じ話を何度も何度も繰り返すようになりました。
困ったのは、生まれたばかりの甥に心臓疾患が見つかって手術しなければならなくなった時です。
何が困ったかと言うと、義妹(甥っ子のママ)に向かって言わなくていいことをペラペラしゃべってしまったのです。
何が困ったかと言うと、義妹(甥っ子のママ)に向かって言わなくていいことをペラペラしゃべってしまったのです。
義妹は新米ママなので、子供の体に異常があるというだけでパニックになっていたのですが、そんな彼女に向かって自慢げに「うちの親類に心臓病の人は一人もいない」「誰の遺伝でそういう病気になるんだろう」などとうそぶいたのでした。
甥っ子の心臓疾患は心臓の動脈と静脈が逆になっているというもの。
その逆になった血管を手術で正常な位置に戻さないと行けなかったのですが、まず引き受けてくれる病院探しや入院にかかる費用、機関などで両親は毎日、生きた心地がしなかったと思います。
その逆になった血管を手術で正常な位置に戻さないと行けなかったのですが、まず引き受けてくれる病院探しや入院にかかる費用、機関などで両親は毎日、生きた心地がしなかったと思います。
そんな親に対してうちの母は、その神経を逆なでするように上記のようなことを平気でペラペラしゃべるので、傍で聞いているこちらがハラハラするほどでした。
実際、弟は母のその言動に関してものすごい怒りをぶつけていましたが、それに対して母は「え?あたし そんなこと言ってないけど?」という反応。
実際、弟は母のその言動に関してものすごい怒りをぶつけていましたが、それに対して母は「え?あたし そんなこと言ってないけど?」という反応。
身内の母に対する態度の変化
気持ちに余裕のなかった弟と激しい口論になってしまいました。
母が認知症気味になる前から、そういった、人の気持ちを考えずに言葉に出す癖はあったものの、たちの悪いことに自分が吐いた言葉を覚えていないのです。
私は以前から(いよいよ、始まったかな)と母の認知症を懸念していたのですが、一緒にいる父は我れ関せず・・・
私は以前から(いよいよ、始まったかな)と母の認知症を懸念していたのですが、一緒にいる父は我れ関せず・・・
というか、嫌なことを考えたくないようで、見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりを決め込んでいました。
弟夫婦とこんな風にいざこざが起きても知らん顔してました。無責任極まりない!
弟夫婦とこんな風にいざこざが起きても知らん顔してました。無責任極まりない!
気持ちにゆとりの無い弟に母の状態を話しても、もちろん頭に入るはずもなく、しばらく母と弟は犬猿状態になりました。
そんなこともあって間もなく、母は毎日やっていた炊事ができなくなりました。
味付けが分からず、煮物は塩辛くなるし、肉を焼く時に塩をたっぷり塗りつけて、やっぱり塩辛くて食べられない・・・
味付けが分からず、煮物は塩辛くなるし、肉を焼く時に塩をたっぷり塗りつけて、やっぱり塩辛くて食べられない・・・
代わりに調理師だった父が食事の用意をするようになりました。
私は働きに出ていたので、掃除や洗濯以外に家事を手伝うことはできませんでした。
私は働きに出ていたので、掃除や洗濯以外に家事を手伝うことはできませんでした。
母が壊れていくのに医者にも連れて行かず、デイサービスなどの対処もせず、ただ時間が過ぎていくのを仕方なく受け入れているだけの父。
それよりも、「返って手間がかかるから」と言う理由で、母に家事一切をやらせませんでした。
こうなると母の認知症はどんどん進みます。
こうなると母の認知症はどんどん進みます。
母親の変化
家族以外との交流もなく、しばらくは弟一家が遊びに来ることも無くなって性格がゆがんできました。
母は怒りっぽくなり、性格はますますキツくなり、家族に当たり散らして次第に迷惑な存在になっていきました。
ある年の暮れ、市販のものとは別に私が何品か、お節料理を作ることになったのですが、この時も一悶着あなりました。
出来合いのおせちとは別に、煮物やだて巻き卵、ゴマメといった、ごく簡単な料理をしてお重に詰めようとしていた時のことです。
出来合いのおせちとは別に、煮物やだて巻き卵、ゴマメといった、ごく簡単な料理をしてお重に詰めようとしていた時のことです。
当然、台所仕事なんかはほとんどできないので、私と父が作っていたのですが、キッチンテーブルに置いたお重や料理の乗ったお皿を母が少しずつ少しずつ、テーブルの端に寄せているのです。
料理はできなくても、置く場所を作ってくれているのかな、と思ってみて見ぬふりをしていたのですがそのうち、できたての料理が全部 床に落ちたのです。
明らかに私たちがガス代に向いて料理している時を見計らって、母がわざと落としたのです。
明らかに私たちがガス代に向いて料理している時を見計らって、母がわざと落としたのです。
何でこんなことをしたと思いますか?
母は今まで自分の仕事だと思っていたことができなくなった、その代わりに何もできないと思っていた娘が自分に代わって料理していることが面白くなかったからです。
流石に私も怒りましたよ、朝から休みなく準備して一つ一つ作って、あとはお重に詰めるだけになっていた料理を全部、ひっくり返されたのですから。
もう、自分の母親ながらなんて性格が悪いんだろうと思いましたね。
こういう意地の悪い性格でしたから、実は私は母が大嫌いでした。
こういう意地の悪い性格でしたから、実は私は母が大嫌いでした。
怒る私に対して母の対応は「おうむ返し」でした。
私: 何やってんのよ!
母: なにやってんのよ~(笑)
母: なにやってんのよ~(笑)
私: ふざけるな!
母: ふざけるなー だって(笑)
母: ふざけるなー だって(笑)
私: 頭おかしいんじゃない!?
母: 頭おかしいんじゃない(笑)
母: 頭おかしいんじゃない(笑)
こういう調子なんです。(殴ってやろうかと思いました)
このおうむ返しは認知症になる前からの母の癖でしたが、認知症初期にはこうやって自分に都合が悪くなると、話をはぐらかすことが多くなってきました。
事の善悪が認知できなくなってきたんですね。
今まで炊事が大嫌いで文句ばっかり言ってきたのに、いざ 自分の仕事を他人に奪われると異常に腹を立てるのも認知症の症状といえます。
今まで炊事が大嫌いで文句ばっかり言ってきたのに、いざ 自分の仕事を他人に奪われると異常に腹を立てるのも認知症の症状といえます。
それと、言っていいことと悪いことの区別もつかなくなるんですね。
前頭葉が壊れているからか、人の感情を逆なですることを言っても何も感じないというわけです。
前頭葉が壊れているからか、人の感情を逆なですることを言っても何も感じないというわけです。
認知症を遅らせるために
今の医学では認知症を完治させることはできません。
治すどころか、認知症は徐々に進んでひどくなっていきます。
認知症を発症した初期に早めに薬で認知症を遅らせる薬を処方してもらっていれば、少しは症状が進むのを遅らせられたのかもしれません。
でも、認知症の症状が進んでも父は全く対処しませんでした。
その後、父は一日中、母から暴言を浴びせられることになるとも知らず・・・
その後、父は一日中、母から暴言を浴びせられることになるとも知らず・・・
認知症は黙って放っておいていい病気ではありません。
家族が将来、悲劇に見舞われないためにも初期の治療は必要なのです。
家族が将来、悲劇に見舞われないためにも初期の治療は必要なのです。